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8月17日

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宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観ました。

小学生の頃に見た「カリオストロの城」以来、それ以前の

作品も含めて、殆どの作品を観て、著書なども読み、

注目し続けてきた宮崎監督が何を提示するのか

興味がありつつ、老齢による劣化はみたくないなぁ、という

心理もあって、公開から一ヶ月経っての鑑賞となりました。

「観てよかった」です。

70歳を過ぎた宮崎監督が、衰退・劣化する日本社会を

どのように眺めているのか知りたいと思っていた答えの

ようなものが、そこかしこに現れていたように思います。

もちろん、「今どきの若いものは」「かつては良かった」と

いうような、美化された回顧による世界に始終するものを

主張するつもりは監督には全くない、と思います。

とはいうものの、

“夢の実現に生き” “愛する者に魂をささげ”

“困難な中でも弱者を助け” “対価を求めず” など

言葉で羅列すると陳腐に聞こえるかもしれない生き方を

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魅力的で美しいもの、として例えどんなに困難な社会状況(戦時中だったり、震災の後だったり)としても、

「こういう生き方ができる人がいたなら“素敵な人”と、こういうことが自然と生まれる社会こそ素敵な社会」と認めよう、と

映像を通して(言葉ではなく、映像作家としての表現力を使って)監督が言っているように、私には思えました。

お金が一番、国家のプライドが一番、とかいう価値観が大手を振って歩いている現代日本に対するつぶやきではないかと。

 

いや、思い返してみれば、宮崎監督が映画の中で描き続けてきたのは、「カリオストロ」の頃から、

対価なく誰かのために戦い、「なんて気持ちのいい連中だろう」とだけ言わしめて、人の心をさらっていくような人物像ではなかったか。

“対価なく”というのは語弊があるかもしれませんね。自由と好きな女の為なら、でしょうか。“気持ちのいい連中”が権力に身を阿ることは決してない

「ファシストになるより豚のほうがましさ。」「俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえぜ。」と。

 

これらは私の思い込みで、全然チンプンカンプンなことを言っているのかもしれません。

内田樹氏がブログで語っているように、“良い映画とは見た人それぞれが、それぞれの切り口で受け取ることができる懐の深さをもっているもの”と

思いますので、私も成長するとともに、この映画から受け取るものが変化するのを楽しみにしたいと思います。

それを確かめるためにも、ブルーレイ・ソフトがでたら買って何度か見直そうを思っています。

とりあえず、私が「風立ちぬ」を初めて映画館で見ながら頭の中をめぐっていたのは、以上のような事柄でした。